娯楽に溺れていた自分が変わった原因の考察

十代の頃、眉間にシワを寄せて考えていた。
「何のために生きるんだろう?」

その割には、やるべきこともやらずに、楽しいことに流れ、娯楽に溺れ、その結果として、言い訳をして逃げてきた、と思う。

社会人になって数年経った頃、先輩社員から聞いた、その人の人生観。
「生きる目的は、趣味や娯楽やで。どれだけ、プライベートの時間を充実させられるかやねん。」
先輩社員はカッコ良く見えたし、その頃は、まさにその通りだと思った。

僕は、結婚して子供ができても、休みの日は、開店から閉店までパチンコ店に入り浸り、その他の時間はテレビゲームに費やしていた。
最新のゲーム機を持っていて、これから発売される最新ゲームの何を買おうとか、次の新台入替で入ってくる最新パチスロの研究も怠りなかった。
その頃、気付いたのは、娯楽をやり過ぎると、虚しくなり、不安になる、ということ。

今は、どうか。
あんなにやっていたゲームもやらないし、パチスロもやっていない。
最近、娯楽と言えるのは、夕食で酒を飲みながらDVDを見ているとか、ウクレレの練習をしている時間くらい。

なぜそうなったのか、実は、あまり理解していなかった。忙しくて、それどころではなくなったからと思っていた。
感じていたのは、突然そうなったのではなく徐々にそうなったことと、娯楽に費やす時間は、さらに減少傾向にあるということ。
そして、超多忙だけど充実している、ということ。

その原因が、ようやく腹に落ちて理解できてきた。
忙しくて娯楽どころではない、というのは結果であって、原因は、「目標が有るから」だ。
目標が有って、それに向かってやりたいコトが有る。しかし、やらなくてはいけない仕事も次から次へ入ってくる。
それを何とか片付けて、目標のための行動の時間を取ろうとする。
当然、娯楽に使っている時間が無くなってしまう。
遊んでいる時間が有ったら、やりたいことが有る。
外部からの刺激に反応することが忙しくなったわけではなく、内部的に忙しくなったということだ。
より目標が明確になったり、目標に向かって時間を使うスキルが上がることによって、この状態が加速している。
逆に言えば、目標が無かった、または目標が有ってもやるべきことが明確でなかった時は、娯楽に手を出す時間的な余裕ができていた、ということだ。

娯楽に費やす時間が減ったのは、「目標が有り、今やるべきこともハッキリしていて時間が足りない」、それが理由だ。

そして、こうなった根本的な原因は、独立したことだ。
起業してなければ、こうはなっていなかった。
サラリーマンの頃の僕を知る人から見たら、別人のように感じるだろうと思う。
サラリーマンの頃は自分を過信していたし過大評価していた。
今は、積み上げてきたことは自信になっているし、自分が全然できていないコトも分かっている。
考えてみれば、サラリーマンの頃の僕には目標は無かった。
もちろん、サラリーマンでも目標を持って日々努力している人はたくさん居るだろうし、経営者でも目標が無い人は居るだろうと思う。

もっと若い頃に気付いて努力していたら良かったと思うのだが、友達の二朗に言わせると、
「後悔、役に立たず」
らしいので、あんなに娯楽優先、娯楽中心のアンポンタンだった自分を成長させて貰えたことに感謝し、さらに精進しようと思う。


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